松本くらのコラム,コラム,ヨガと体のQ&A 2020.10.14
クラニオセイクラルの歴史
オステオパシー
[クラニオセイクラル]というボディワークは、19世紀後半にアメリカで生まれた[オステオパシー]に端を発します。
生みの親は、アンドリュー・テーラー・スティルというアメリカの医師です。
彼は、南北戦争後、三人の息子を脊髄膜炎で失ったことで当時の医学に疑問を持ち、その後10年間の人体研究の結果[オステオパシー]を生み出します。[オステオパシー]は単なる手技療法ではなく
・身体は一つのユニットであり、身体の諸器官や組織は、互いに関連して機能している
・身体の機能と構造は、相互に関係する
・身体は自己治癒力を備えている
・自己治癒力を上回る何らかの外力または内的変化が生じた時に、病気が発生する
・そのような障害を、筋、関節、神経、血液(動脈・静脈)、リンパ、脳脊髄液、諸内臓などを総合的に観察して見つけ、矯正することにより、健康に導く
という基本コンセプトを持つ、医学体系です。
医学が細分化され、薬が重用され始めた当時の医学に一石を投じた、新しい医学体系と言えるでしょう。
彼はその後、[オステオパシー]の最初の学校を設立、普及に努めます
(スティル博士)
クラニアル・オステオパシー
オステオパシーの生徒として、スティル博士に教えを受けていたウィリアム・ガナー・サザランド博士は、1900年代初頭、バラバラになった頭蓋骨の縫合(関節)を見て、「この部分の重なりは魚のえらのようだ、ひょっとしたらこの形は、呼吸のメカニズムを現すかも知れない」と考え、独自の実験を始めました。彼は、圧を変化させたり調節できるヘルメット状の装置を使い、自身の頭の異なった部分で実験を行いました。様々な圧の組合せが、問題や頭痛を作り出していることを体験し、体験を元に頭蓋の研究を深めていきました。
その後、頭蓋や、そのそれぞれの骨、その奥の膜、脳脊髄液の流れに働きかけ、様々な病気や、しばしば他の医者に絶望的な診断を下された患者のトリートメントに成功しました。
これが、[クラニアル・オステオパシー]の始まりです。
彼の成果は、ローリン・ベッカー博士等、彼の生徒たちに受け継がれ、[クラニアル・オステオパシー]は世に認められるようになりました。
(サザランド博士)
クラニオセイクラル
1970~80年代になって、やはりオステオパシー医である、アプレジャー博士とカルニ博士によって、クラニオセイクラル・システム(頭蓋仙骨系統)の重要性についての研究が行われました。そして、脳脊髄液の干満や潮流のようなリズムによって、頭蓋骨が実際に動いている、という証明がなされました。
この時期からクラニオは、オステオパシーから独立して、[クラニオセイクラル]として発達し始めます。
アプレジャー博士は、多動症や自閉症、読書困難症の子供たちに働きかけて、良い結果を残し、この働きかけ方を[クラニオセイクラル・セラピー]として多くの人々に教えました。彼の著書[もうひとりのあなた]は、1994年に科学新聞社から翻訳出版されています。
クラニオセイクラル・バイオダイナミクス
クラニオセイクラルの新しい流れである[クラニオセイクラル・バイオダイナミクス]は、
ウィリアム・ガナー・サザランド博士の晩年の10年間の教えに基づきます。
彼の探索は、頭蓋の動き、その下の膜の動き、それを動かす脳脊髄液の動き、と深められた結果、その脳脊髄液を動かしているエネルギーに行き着きました。Breath of Life―この普遍的で宇宙的な力こそが、そのエネルギーである、と。
そして、そのエネルギーとつながり協力する、という新しいアプローチを、晩年の10年間のみ教えました。
教えを受けたローリン・ベッカー博士は、この概念と液のシステムの探索を続け、Health ― 私たちの内部に存在する生来の健全さ への理解を深めました。
こうした探索は、量子力学や胎生学における発見、それらの発達により、理論的に裏打ちされていきます。
現在、ジム・ジェラス博士、フランクリン・シルズ博士等によって、[クラニオセイクラル・バイオダイナミクス]は統合的に理論化され、人間という存在全体に働きかける新たなアプローチとして、発達を続けています。
フランクリン・シルズ博士の著書[クラニオセイクラル・バイオダイナミクス]は、2006年2007年に、産学社 エンタプライズ出版部から翻訳出版されています。