松本くらのコラム,コラム,ヨガと体のQ&A,講師紹介 2021.10.13
クラニオセイクラルという[体験]
今年の4月に初めて出会い、それからほぼ毎月通ってくださっているクライアントさんが、自身の体験したセッションについて、素敵な文章を書いてくださいました。皆さんにシェアしても良いですよ!と言ってくださったので、書き移してみますね。
[クラニオの体験]
初めてクラニオ・セイクラルを受けた私の身体は、丸太のように重くなり、瞼や口はもちろん、指一本すら動かすことができませんでした。
「しばらく休んだほうがいいね」と、くらさんが部屋を出て行かれました。
一人になった途端、閉じた両眼から、滝のように涙があふれて止まりませんでした。
「あれ? 私、どうしちゃったんだろう!?」と頭では戸惑いつつも、心の中は様々な感情がミックスした、とても複雑な状態でした。
それは怒りであり、悲しみであり、喜びであり、安堵であり・・・感情の波が寄せては引いていくことを繰り返すようでした。
最初に、怒りと開放感の大波が来たとき、心の声が叫びました。
「私はもう、誰かのために自分を犠牲にしないっ!!
自分のやりたいことをやって、それが人のためになればいい!!
それで、いいですよねっ!?」
空の上にいるサムシング・グレートのような存在に向かって、そう告げた瞬間、外の庭から美しい鶯の声が響き渡りました。
それはまるで、私の耳元でクリスタルのガラスが曲を奏でているような、とても美しい長い囀りでした。
そして私にはそれが「それでいいんだよ!」というOKサインのように聞こえました。
家に戻ってから、あの感情のうねりは一体何だったのだろう・・・と考えていて腑に落ちたのが、小学一年生の頃の迷子になったときの記憶でした。
迷子になったことに気づき、不安と恐れの中、ベソをかきながらウロウロとさまよっていました。
ようやく母と再開した時、喜びとともに、自分を見失った母に対する怒り、母から離れてしまった自分への憤り、母に抱かれた安心感、そういった感情が渦巻きました。
それはクラニオを受けた直後の思いと、とても似ていました。
あの時の幼い私は、今の私の身体で、母親は、私自身でした。
いつの間にか、自分の身体の声を聞くことができなくなっていた私自身。
必死で身体が助けを呼んで探していたのに、それを見つけてあげられずにいたせいで、私はすっかり疲れ果て、心と頭と身体がバラバラになっていたのでした。
クラニオ・セイクラルを受けて、ようやく私は自分の身体を見つけました。
身体は初めて完全に脱力できたため、全く動けない状態になっていたのです。
そこまでなってやっと私は、自分がこんなにも疲れ切っていたのだということを知ったのでした。
[命同士の化学反応]
命と命 として出会いが起こった時に、命は呼応し合って、化学反応を起こすようです。
命 に意図はありません。出会いと呼応があるだけです。
化学反応の結果など、いつも判りません。
でも、こんな化学反応が起きると、
命であるということ、そして、未知の世界のからくりに、私はただ頭を下げ続けて、
またクラニオをやりたいと思います。
ただただ命として出会うことに、意図を傾けたいと思います。
文章を書いてくださった彼女は、セッションを重ねる中で、自身の身体との繋がりをあらためて結び直し、この6ヶ月の間に大きな決断をして、今は新しい仕事と住まいを楽しみ始めました。