松本くらのコラム,コラム,ヨガと体のQ&A 2020.12.27
松本くら先生がクラニオセイクラルに魅せられ続けるワケ②
このコラムでは何度か触れていますが、今回は[リラックス]という側面から、私がクラニオに魅せられ続けるワケをお話してみたいと思います。
[リラックスの深みへ]
この言葉は、クラニオ研修の最後に提出した私の論文のタイトルでもあります。
もともと私は段取り魔で、頭が先走るタイプ、そのうえ考えついたら即行動、という突っ走りタイプです。ずいぶん落ち着いたつもりですが、仲の良い友人には、今でもその性癖をからかわれます。
ですから、20代でヨガに出会い、[何も考えていない時間]を体験した時は、衝撃的でした。
「身体を感じている時は、考えが止まって、こんなに緩むんだ!」とビックリし、ヨガに[ハマリ]ました。私のリラックス体験の始まりです。
その後クラニオを体験し、リラックスは更に深まりました。緩み方はヨガ以上で、身体が勝手に自律運動を始めたり、ゆんわりと骨が動く感覚があったり、身体の境界線がぼやけて拡がっっていったり、息を吐いた後あまりに気持ち良くて、長い間吸うことを忘れていたり…。
「リラックスって、どこまで深まるの?」と、これまたすっかり[ハマッタ]訳です。
そんな時にバグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚・インドの思想家)の
[自己治癒の力は、リラックスの深みから立ち昇ってくる]という言葉に出会い、その可能性を追求したくなって、クラニオを学び、このタイトルで論文を書き、クラニオのセッションをしたり受けたりして、体験を深めています。
[時間のない「原初の意識」にふたたび戻る]
この言葉も一度コラムに書きましたが、これは、上野圭一氏の「ナチュラルハイ」という本の中での[リラックス]の定義です。「そんなところまで?!」と思われるでしょうが、クラニオの体験は時々、ここまで私を連れ出します。
セッションの中で、私自身とクライアントのニュートラルが深まり、ある種の変性意識状態に入ると、空間全体が変容し、知覚の位相が変わります。この位相の中では、他者と自己の境界はあいまいで、世界は全体性の中に溶け込んでいきます。[まだ分化していなかった原初の段階]が立ち現れてきます。
それはおそらく、受精卵として成立した時の、意識の記憶でもあるのでしょう。
こうして意識が全体性を回復すると、治癒のプロセスは自ずと展開していきます。それは、通常意識を離れた展開であり、クライアントの症状に呼応することもあれば、しないこともあります。予測はつきません。何が起こったのか、判らないことさえあります。
が、セッション後には、私とクライアント両者に、深い満足感が生まれます。おそらくこの満足感は、[原初のいのち][より全体であった自分]を、意識が体験することで生まれてくるのだと思います。それは、元気をもたらす満足感です。
[リラックス]が意識の解放と変容を生み、それが更に深い[リラックス]を呼び、そのスパイラルが、原初への、全体性への回帰につながっていく、そんな展開が、クラニオの世界には確かにあります。